なるほどね
指導者って結局、その指導してる内容が好きでマニアでオタクで
突き詰めたくなるほど大好きってことなのかな。
それを使って世に出ていく
例えばプロスポーツ選手のように。
でもその道は無理だったか何かで
「指導する」という道を選択したわけよね、おそらく。
やはりこの時の選択理由は「好きだから」だと思うのよ。
もちろん、指導して伝わって納得してくれて上達してくれてっていうプロセス自体が好きってのもあるとは思うけどね。
そんな指導者達は、その教えてる内容自体が好きであるのはもちろん、だからこそ日々上達もしてる。
教えるスキルも、その内容自体のスキルも。
スポーツ系は身体の衰えには抗えないが、芸術や勉強だとかなり老化は遅い。
ごめん、芸術系は違うのかも笑
さて
ようやく話が集約してくるよ。
つまり「勉強」を指導する場合、その学問自体に対しどんどん知識は増え、新たな気づきを得る。
これは僕もそうだ。
いまだに日々学び、新たな知識は増えていくから。
そしてそれが面白くてたまらない。
そうするとね、結局何が起きるか。
早くみんなをその領域に連れて行きたくなるんだよ。
この時、題名に書いたリスクが発生してしまう。
自分が面白い!と思うことは、実はその勉強内容の基礎基本がしっかり出来上がってるからこそ面白いわけで
その基礎がない子達に伝えてもピンとこないなんてことがかなりあると思うんだ。
たまに学校に講演に来てくれる専門家の話がちっとも伝わらないし、面白くもないってこと
あるよね?
まさにあれだ。
これは僕自身、しっかりと意識し続けないといけない。
面白いと感じられるのも能力あってのことだ。
そしてその能力は分厚い基礎の上に立つ。
いや、その分厚い基礎そのものが能力の大半を占めるってこと。
すごく大事なことだ。