ちょっと偉そうですまん。
でも、夫婦の会話やその言語化の質
特に子育てというものに関してはちょっとドヤっても許されるレベルにはあると思うんだ。
なぜなのか。
我が天使は21歳の時に僕と結婚し、22歳の時にはゲラおを産んでいる。
「子供が子供を産んだ」
って、今でも言ってるし。
子育て経験ゼロの22歳と26歳
でも今、僕ら夫婦は子育てに関することを毎日楽しく喋ってる。
その中で、ちょっとテーマが固まった「親単科」での内容を語り合う夫婦ラジオ。
僕ら夫婦は一体なぜ、いつそんな会話の量と質を積み重ねてきたのだろうか。
これはね
はっきりと言えることがある。
それは僕が自営業で塾の先生という特殊な仕事をしているからかもしれないね。
まず、昼間一緒にいる。
だから二人で子育てや家事をする。
そして二人とも子育てが趣味。
さらに、幼稚園のお迎えやスポーツ少年団の試合だけでなく、練習も二人で必ず見に行っていた。
二人で我が子らを見て、そしてそれと同じくタイミングで「他の子」や「その子の親」を見てきた。
当然ながら、共通のものを見ているので、
「ねえ、さっきのあれどう思う?」
「思った!あれは・・・」
みたいな感じで、常に誰かが誰かを育てている現場に一緒に立ち会い、
同じものを見て、それについて意見を出し合ってきた。
その根底には、「ゲラおやなし子に影響を与える子達」をしっかりとチェックする目的があった。
いろんな子がいるからね。
そんな真島夫婦の時間はゲラおが幼稚園に入る前から、20年近くあったわけで。
だから
いろんな子
いろんな親
を二人で言語化してきた歴史があるんだ。
もう、納得だね?