今、松江塾の小5小6がウヒャウヒャ言って和文英訳するのが次のような文だ。
彼は毎日どこで彼女と一緒に納豆を食べますか。
これを言う時って、まず頭の中に「知りたい欲求」が芽生えるわけじゃん。
いつも納豆を食べる彼
どうやらあの女の子と毎日食べてるらしい。
でも、その現場を見たことがない。
目の前のこいつは、それについてかなり詳しく知ってるそうだ。
今しかチャンスがない。
さあ、聞こう!
という流れだ。
その瞬間
Where does he eat natto with her every day?
これが出てくるだろうか。
欲求と思考と言葉が瞬時に結びついて、さらりと出てくるなら問題ない。
ああ、でもこの話はあなたではなく、あなたの子供についてだ。
あなたの子供はこれがさらりと出てくるだろうか。
英検も3級程度なら
Do you know where he eats natto with her every day?
なんて文でもいいだろう。
どう?
おそらくだが、まず無理だよね。
まず見て分かるよね。
文字が違う。
違いすぎるくらい違う。
そしてさらに厄介なのが、「語順」が違うんだ。
この「語順の違い」は何が理由か分かる?
言葉は思考と直結してるよね。
その順番が違うってことは、そもそも「思考」の順番が違うからなんだ。
もう、これ
どうしようもなくないか?
だから日本人には納豆英文法が必要だって話。
もう何回書いたか分からないければ
さすがに浸透してきたよね?
よね?