思考が跳ねた。
親が我が子に見たいもの
それは「役割を担っている我が子の姿」なのかもしれない。
集団の中で
コミュニティの中で
人の輪の中で
我が子が何かしらの役割を得て、任され、信頼され
その中でコミュニケーションをとれているという事実
これは親にとって、大変嬉しく、安心できることなのではないか。
勉強はできるが孤独
コミュ力不足
孤立
他者と関わらない
そんな姿は、親にとってとてもとても心苦しく、不安にさせるものではないか。
我が子には、何かしらの役割を与えたい。
それはまず家庭の中でだろうか。
お風呂掃除係り
洗濯物を畳む係り
そうやって役割を得て、任され、評価され、認められる。
その中で自己肯定感を育み、家の外での役割につながっていく。
我が子大事
我が子可愛い
危ないから
ここにいて
そうやって育てた我が子がどうなるか。
「これやっといてくれると助かる」
そんな言葉で果物の一つでも台所に運ばせる。
そんなことからあなたの子供は「役割」を自覚するんだ。
人は社会の中で生きていく。
その社会においては、人は何かしらの役割を得て、それを「演じる」のだ。
その顔が多ければ多いほど、人との関わりは増えて、人生は楽しくなっていくのではないか。
でもそれがちょっと多すぎて重すぎた時に
「大丈夫だよ。一緒にいてあげる」
そう声をかけてくれて、支えてくれる人と
結婚なんて形で寄り添い、役割を脱いだ顔を見せることができ
安息の場を得てまた明日から頑張れるのではないか。
そんなことを思った。
うん
今日は思考が跳ねる日なのかもしれない。