前にも書いたが、今ふと思ったから書いていこう。
もし去年の9月に僕が「三語短文」を思いつかなかったら。
今多くの塾や小学校で取り入れ始めている三語短文の取り組みは存在していなかっただろう。
もちろん松江塾の子達も毎日新しい日本を三語、脳内通過させることもなかったはずなんだ。
家庭や学校、よく見るテレビ番組、お気に入りの漫画
そうやって普段の日常の中に出てくる言葉達をゆっくりと吸収していく日々が続いていただけだと思うんだ。
やばくね?
とか思う。
頭の中にある言葉は「価値高き財産」である。
これは間違いないと思う。
言葉が少ない子はコミュニケーションの場で最後尾に追いやられる。
そして、同じような言葉数の子達と、ごく限られた言葉だけの平易な会話を繰り返す。
「だるくね?」
「それな」
「これよくね?
「あーね」
一緒にいる数分、数時間で何度も繰り返される同じ言葉。
大切な我が子を、そんな会話の渦の中に放り込んでなるものか。
だからこその三語短文
日々、日常では出会いにくい学習用語を脳内通過
それだけで、一体どれほど我が子の脳みそが動くか
単なる課題以上の効果があることを
しっかりと気づいて欲しいものだ。