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川越にある松江塾!代表真島による何でもブログ!

多分「美味しくいただく国語」に勉強の全てがあると思うんだ

 

 

「なんで覚えないのかな」

 

 

これが、塾講師としての原点だ。

 

 

目の前の生徒が問題を解けるのは

 

その問題の解き方を知っている、つまり覚えているからだ。

 

だから問題が解けない子に、解き方を教える。

 

その問題の仕組みを教える。

 

その場では解ける。

 

しかし

 

いずれ解けなくなる。

 

忘れてしまうからだ。

 

 

だから、忘れてしまわないように「反復」を仕組みに入れる。

 

しかしどうだ。

 

生徒達はその反復がちっとも楽しそうではない。

 

そこで僕らは

 

 

5回で覚えられないのなら10回繰り返せ

 

 

と言う。

 

 

でもさ

 

 

多分だけど、塾講師としての生きている人達は

 

自分の学生時代に、その問題を10回も繰り返してはいないはず。

 

 

多分、多くて5回。普通は3回くらい。

 

 

なぜなら、「分かった」からだ。

 

 

もう分かったものに関しては、それほどの反復は必要ではなく

 

いわば「単純暗記」のほうに時間を使う。

 

 

 

こうやって

 

 

理解暗記

 

 

単純暗記

 

 

という感じで対象を色分けすれば

 

 

勉強はどんどん進む。

 

 

いわゆる「効率的に」というやつだ。

 

 

得点の高い子達は、この「理解暗記」つまり

 

分かってしまえばその時点で覚えられてしまうもの

 

が多い。

 

 

逆に、得点の低い子達は理解暗記という概念から遠ざかった場所で「とにかく繰り返して暗記」に奔走する。

 

 

当然、目指すべきは前者なのだが

 

 

一体、どうすればそうなれるのか。

 

 

 

ここでようやく題名に書いたことに行き着くわけだ。

 

 

この夏、どの学年でも取り組んだ

 

 

美味しくいただく国語

 

 

ここにいわゆる「勉強」で効率的に結果を出す原点があるのでは?

 

 

と思う。

 

 

「分かる」とは何か。

 

 

 

そこにフォーカスを当てて、生徒達が

 

 

分かるということを楽しく共有

 

 

していく時間。

 

 

1時間で5行しか進まないのは

 

 

その5行を「分かる」というところに行き着くまでにそれだけの

 

 

周辺知識と語彙と経験

 

 

か必要なのだ。

 

 

 

例えば

 

 

 

「早朝のガラスのように張り詰めた空気が私の頬を突き刺す」

 

 

なんていうフレーズ。

 

 

僕は大人はなぜこの一文を理解できるのか。

 

 

 

もう分かっているものに関して

 

 

それが「分からない」という状態が想像できるか?

 

 

 

できないのである。

 

 

 

学習指導における最大の壁はここだ。

 

 

分かっている者と分からない者

 

 

この両者の脳内に差があると

 

 

見える者全てが違う。

 

 

 

そこを埋めるのが

 

 

 

美味しくいただく国語

 

 

 

なのだ。

 

 

「分かる」ということが分かるようになると

 

 

もう、「分かる」感覚を自ら求めるようになる。

 

 

今の自分があの「分かる」に到達していないことを自覚できるからだ。

 

 

 

 

 

そこにこそ「自ら考える」とか「自分で判断する」なんていう、勉強に不可欠な要素が転がっていると

 

 

僕は思うのだが

 

 

 

どうだろう。