ふむ
大きなテーマをぶち上げてしまったものだ。
生まれたての我が子には、「上」を望まない。
ただただ「健康に」「健やかに」という成長のみを望むだろう。
母乳を吐けばオロオロし、
ちょっと咳き込めばハラハラし、
夜中にグズれば何か調子でも悪いのではないか?と怖くなり
そのころはシンプルに「命」というものにだけ目を向けたはずなんだ。
でもそれが「月齢が同じなのに、あの子の方が首座りが早い」「寝返りができる子がいるらしい」
なんて、「成長の差」を意識するようになる。
遅いか、早いか
できるか、できないか
算数でもそうだけどね
「差」というのは、実際に具体物として存在しない概念だと思うんだ。
@@@@@
と
@@@@@@@@@
この二つは、上は@が5個、下は@が9個
あるのはそれだけだ。
その差の「@が4つ」って何?
確かに、数字としてそこに存在はすれど、
その「@が4つ」というのは我が子の中にあるものじゃないよね。
それを見ることは、我が子を見ることになるのだろうか。
違うよね。
我が子は「@が5個」
これが現実。
だったら、次の「6個目」を積み上げることに注力することが大事なんじゃないの?
他の子との差にヤキモキするのは分かるけど
その「存在しないもの」を見ている時間は、多分我が子の成長には何も寄与しないはず。
見るべきは我が子。
@が5つの我が子
忘れないで欲しい。