昔、母親に言われた記憶がある。
「あなたへの教育投資はみかん箱ひとつ分」
というフレーズ。
みかん箱と言われてもピンとこないかもしれないが
これ
昔は木製のものも多かったようで、その木製のもののことを言っているのだとは思うが
話の大筋としては、
「自分の子供を人よりも頭ひとつ抜け出させるために足元にみかん箱一つを置いてやること」
という感じだったかと思う。
今、自分がその「教育投資」の現場に身を置き、
生徒達を見ていて感じるのは
成長して大人になってそんな木製のみかん箱に乗っているようではダメだ
確かに子供が小さい時、例えば動物園に行った時
我が子の足元に常にみかん箱があれば
我が子は他の子よりも動物をよく見ることができるだろう。
それで我が子は優越感を得て、満足。よく見えるし。
しかし
そのままそのみかん箱を携えて成長し続けることはどうなの?
と思う。
大人になってもその木製のみかん箱に乗って…
つまりいつまでも「○○高校出身です」「○○大学卒です」と言ってる人ってこと
親の教育投資の成果は確かにいろいろなところで他の人たちよりも「頭ひとつ」抜きん出る効果を生んだはず。
しかし
いつまでもそれに頼っていてはダメだと思うのだ。
みかん箱になど乗らずに、
なんならアフリカにその動物をリアルに見に行ける、とか?
そういう力を手に入れるよう
自らの力で頑張れるようにならなければ。
親にできるのは
「そうやってみかん箱だけでも人よりもお得なことがあるよ」
という経験をさせること。
そしてその経験を通して
「木製の箱よりも金属の階段が欲しい!」
と自ら思わせること。
それが大事なのではないか。
と思う。