人が考えられること
人が願えること
人が動けること
これらは一人一人の個人差こそあれ、
その大きさは決まっているんだと思う。
その全てをどこに振り分かるかによって
自分の人生も、そして
子供の人生をも成功させたり、失敗させたり
拗れたりするんじゃないかな。
まず子供が生まれた瞬間
親はその意識と行動のほぼ全てを子供に向ける。
つまり
この状態である。
逆にこうしないと子供が怪我をしたり、風邪をこじらせたりすることもあるからね。
それがだんだん子供が大きくなっていくにつれ、
子供には「自我」が芽生える。
つまり
子供が幼少期であれば、この時親の意識や行動と子供の自我は
どのような位置関係にあっても問題はない。
ここから
少しずつ親は意識と行動を子供の領域から後退させ
自分自身の領域へとシフトさせていかないといけない。
そのタイミングを間違うとこうなる。
親の意識と行動が子供の自我の領域に食い込んでいる状態。
これが
「うぜーな」
「関係ないでしょ」
「ほっといてよ」
と子供が言いたくなる状態。
いわゆる「反抗期が拗れる状態」である。
この時の親の気持ちは
「でも心配」
「なんとか成功を!」
という意識と行動が根底にあるから
それが実は失敗へと繋がっていくことは自覚できない。
「良かれと思って」の極みだからね。
しかし
この状態は最悪だと分かってもらいたい。
子供の領域に踏み込みすぎて、本来起こらないはずのトラブルを生み出すだけでなく
自分自身の領域に意識と行動が行ってないから、日々の充実感も少ない。
一方でうざがられ、一方で充実感が少ない。
ね?
最悪でしょ?
適切なタイミング
子供の自我の成長をしっかり観察し
すっと意識と行動を交代させる。
でも、見極めることが大事だから目は離さず。
もうこの段階で、親の期待や不安を伝えても
子供には何も伝わらない。
分かってもらいたくて前進すると、トラブルしか生まない。
あとはひたすら見守るだけ。
それと同時に自分自身への領域に意識と行動を持っていく。
そして充実感を得る。
親が自分を見ていても領域に踏み込んでこず、自分のことで充実している姿を見た子供は
ストレスなく自我を成長させ、自分の人生に自分の足だけで立っていることを自覚する。
それこそ
自走
自学
にとっては大事なことなのである。
最終的には
こうなる。
これが親離れ子離れの状態であり、
いずれ子は誰かの親になり、同じことが繰り返されていくのだ。
さあ
ここまで読んで大事なことは何か。
しっかりと観察し、俯瞰すること
である。
子供だけではなく、親である自分自身の立ち位置も、
である。