僕はわりとどんなスポーツでもこなす。
器用貧乏
って言葉がぴったりな感じでね。
亜朗のサッカー
なし子のバスケ
保護者が練習に参加したりする場面がたまにあり
「あれ?亜朗パパ、サッカー経験者ですか?」
とかすぐに言われる。
サッカーは友達と公園でやってた程度なんだけどね。
でも、体が小さく、手足が短いからか
イメージできればその通りに体は動く。
そんなタイプだ。
今でもたまにやりたくなるが、亜朗の練習中に校庭の横でサッカーボールをドリブルしながらちょこちょことテクニックを磨いた。
エラシコ?
シザーズ?
とかそんな名前だったと思うけども笑
最初は全くできないよ。
でもやり方をネットで見たりして真似る。
しばらく繰り返していると、できる瞬間がくる。
おお
できた!
と思う。
しかしそれはたまに来る一回だけ。
だからまた「できない」の連続が始まる。
でも、頭の中ではできた時の心地よさが自分を呼ぶ。
「ほら、こっちこいよ」
って。
しばらくすると、自分で気づく。
何かしらのテクニックに挑む瞬間の前と後の
ボールをタッチすることの当たり前感のレベルアップに。
これはドリブル中に相手をフェイントで抜く時の技の話をずっとしてるわけなんだけど
そのフェイントに入る前のドリブルのボールタッチ
これに関してはもう、完全に無意識なんだ。
で、技をやって失敗したあと
転がっていきそうになるボールを足裏で止め、引き戻す。
その時も完全に無意識。
なんならもう、ボールを見ることすらしない。
まだ技の部分の成果率は高くないのに。
これ
勉強にもすごく似てる。
例えば不定詞
あなたは彼らに静かにするように言ったのですか?
なんていう日本文を見た時
「あー、tell 人 to 〜か!」
と思いながら
Did you
と、ほぼ無意識に書く感覚。
そして
Did you tell
と書いたところから意識と脳みそのやり取りに慎重さが出てくる。
彼らに言う…だから
Did you tell them
そして頭の中で
tell 人 to だから…と考えて
Did you tell them to
そして、静かにする…んーっとこれは…
とモニョモニョと考える。
この先は別れ道がくるよね。
特に中1とか小学生ならね。
でも、少なくとも
Did you tell
まではほぼ無意識でいける。
こんな感覚。
関数の問題だって、自分のノートに座標を書いて関数を書き入れY軸との交点の数字を書く
この辺りまではほぼ無意識だよね?
上達やレベルアップの手応えって、実はこういうところなんだと思うんだ。
どう?