丁寧にやっている。
これ以上なく丁寧に。
教え方は毎年少しずつ変わる。
根底にあるのは
覚える労力を減らしてあげたい
授業というのは大体が
覚えている立場の者がまだ覚えていない立場の者に初めての知識を伝達する場
である。
つまり最初から100%ギャップのある状態でスタートする。
教える側がサラリと言う、「これ大事だからおぼえてね」は
教えられる側からすればとんでもない負荷なのだ。
ここをしっかりと分かり抜くことが大事だと思っている。
フォニックスはチョロっとネットで調べると仕組みから何から全て調べられる。
大人はすでにある程度英単語を読むことができるので
なるほど納得!これは良い!
と思うだろう。
そしてそれを見よう見まねで子供に伝える。
しかーし
これがもうね、なかなか染み込まないんだ。
てか、数が多すぎるんだよ。
フォニックスの指導って、実際の英単語を使って行われるでしょ。普通は。
となると、初学の子供の立場に立ってみると
新しいものがてんこ盛り状態なのさ。
その文字のフォニックス読みを覚えるのと同時に、それを使った英単語まで覚えないといけない。
その単語たちは、大人にとっては「すでに知ってるもの」だからその負荷の大きさに気づかないんだ。
こうして子供は英語嫌いになっていく…
僕はそれが分かるから
フォニックス場覚えるものを13個だけにしてる。
それで大丈夫だから。
んで、英単語も出さない。
一個も出さない。
英単語を一つも見せずにフォニックスを教える。
納豆フォニックス
の正体がそれだ。