何かを育てていく時に
その育て方や目標に「ズレ」があったら…
そりゃ、育つわけがない。
というか
うまく育ちはしない。
しかし
それが「公教育」「私教育」のどちらにもどどーんと根付いているとしたら
もしくは、最終的な「大学」の入り口で待ち構えているとしたら
やはりそこに合わせた学びや習得は必要になってくる。
何とも悩ましいが
しかし
英語は単なる「思考の発露」の一手段であるであることを考えれば、
教育のメインは英語云々ではなく、もっと根本的なところに置かれるべきである。
そう考えてしまえば、英語教育のズレなど大した問題ではないのだろう。
教育
学び
賢さ
うん、奥が深い。
こちら、ぜひお読みいただきたい。