たくさんの英語を聴いて、たくさん話す。
会話のようなことを繰り返す。
これが今の小学校英語。
僕は生徒達から聞き、保護者の方から聞き、そう理解している。
英語を聞き慣れる
英語を言い慣れる
見聞きしたことのあるフレーズを増やす
これ自体、とても良いことだと思う。
全く中国語を学んでなくても
ニーハオ
シェイシェイ
ウォーアイニー
は聞いたことがあるのと同じ。
(ちなみに、シェイシェイだと中国では通じないと先日YouTubeで知った笑)
まあ、そうやって「なんか知ってる」を積み重ねていけば
なんとなーくその場その場でふんわりと会話めいたことをやっていけるのかなー、とか思う。
それで大学入試まで同じコンセプトで学べれば、だが。
ところが、中学からは全く違うコンセプトの授業に放り込まれる。
しかも問題なのが
聞き慣れただけ
言い慣れただけ
のフレーズが、「構造理由まで理解できている」という前提で次の授業に橋渡しされている点だ。
中1の一番最初のわずか数ページに
be動詞の文
一般動詞の文
助動詞の文
これが一気に出てくるという、とんでもない教科書内容に
最初はマジでビビったからね。
まあ、それが今では松江塾の強みを発揮する要因になってるから問題ないんだけどさ。
でも、間違いなく日本に英語嫌いな子を増やしたのではないかと思う。
でも、あれか
国策として「日本語でものを考えられない英語翻訳スピーカー」を増やすより
早々に英語を諦めさせて、まず日本語でしっかりとものを考えられる子を増やす、という意図があるのかなぁ。
どうなんだろう…