I am Ken.は「私は健です」という意味だよー!
これをね、文で教えるのは言語道断。
無限暗記地獄の入り口だから。
I am Ken.は「私は健です」ね。「あなたは花子です」はYou are Hanako.になるよ。「彼は太郎です」はHe is Taro.だよ!さあ!繰り返し言ってみよう!
だから
I と書いたら無条件に無思考で「am」と書いちゃう。
He の後には「is」が来るもんだと覚えちゃう。
だから
「彼は納豆を食べません」
を
He is not eat natto.
とか書く。
本人はバチバチに正解だと思って書く。
❌をもらっても、なんで間違いなのか分からない。
でも、この段階に来るまでに「英語は覚えるもんだ」と思い込んでるから
もうなかなかにその思い込みは崩せない。
脳内の99.999999999%が日本語の子達には
そういう指導は危険。
まず、日本語と英語の違いを日本語で「理解」すること。
そして、そこに実体験や普段の自分の思考を当てはめて「納得」すること。
僕ら日本人の日常にある日本語は「ルール無視」で成り立っている。
日本
日の出
一日
元日
日和
小春日和
二日
日曜日
…
もうむちゃくちゃだよね笑
日本人は日本語の習得の中で
「いや、だってそういうもんだから」
という手法?に慣れすぎてるんだ。
「もうさっき朝ごはん食べちゃったけど、食べる?」
なんて会話が成り立つ時点で、言語としてはかなりぶっ飛んでるからね?笑
ここで「え?誰が?」とか聞かないでしょ?
「僕は昨日学校で裕也とサッカーをしたよ」
「僕は裕也と昨日学校でサッカーをしたよ」
「僕はサッカーをしたよ昨日裕也と学校で」
「昨日僕は裕也と学校でサッカーをしたよ」
「学校で昨日僕は裕也とサッカーをしたよ」
「裕也と僕は昨日学校でサッカーをしたよ」
「僕はサッカーを昨日学校で裕也としたよ」
「僕は学校で裕也と昨日サッカーをしたよ」
「僕は学校で昨日裕也とサッカーをしたよ」
「僕は裕也とサッカーを昨日学校でしたよ」
ふう、まだまだあるよ
どうなの?日本語。
さらにエグいことに
「僕、昨日裕也と学校でサッカーしたよ」
助詞を抜いてもOK。
こういう言語感覚と、「そういうもんだ」の世界で言語を得て、思考している日本人。
日本の子供達。
まだまだ発達過程にある子供達は、その日本語習得の流れと同列に英語を乗せようとする。
だから
「そういうもんだ」
「覚える」
というレールに乗ってしまう。
もちろん、どの言語も母語として99.999999999%包まれるのならその習得方法が正解。
でも、どんなに環境を早期から整えようとしても無理でしょ?
家族もテレビも漫画も友達の言葉も
全て英語にできるのなら良いけど。
無理だよね。
だから英語を「言語」として習得するのが難しいんだよ。
日本語と英語はあまりにもあまりにも違いすぎるから。
サッカーの試合中の子にバットとグローブと野球のボールを渡して、「はい!野球やって!!」って言うようなものだよね笑
いや、今サッカーの試合中だから!!
ってなるじゃん?
日本語と英語、
そもそも何が違う?
どうして違う?
ルールはどうなってるの?
へー、おもろっ!
確かにそういう理由で違ってるならその語順も納得だわ!
その瞬間の英語脳はどういう状態になってるわけ?
おー、うちら日本人とは違うんだねー
え?てか日本人のほうが無理あるのでは?
日本人すげーなー
てか、日本語やべーやべー
そんな感じで学びを進める。
納豆英文法?
何も特別な指導法じゃないよ。
ただ、知らない単語に惑わされてほしくないから
This is natto.
I eat natto.
を使うだけ。
ただ、それだけ。