僕らは極めて特殊な仕事をしている。
自然界の動物は親がその手で我が子を育てる。
狩りの仕方
身の守り方
危険なこと
安全な生き物
食糧
天敵
そういうものを親自身が教えていく。
しかし、人間は文明の発達とともに「分業」というものができるようになった。
石を切る人と、その石を磨く人と、それを積み上げる人
さらにその計画を立てる人
そうやって人は個人の限界を越えるほどの文化文明を築いて今に至る。
そしてその分業は本当に細部にまで至り
勉強を教える人
を生み出した。
それが「先生」であり、その先生の「教える場」である「学校」ができた。
おそらくみんなそうだと思うが、学生時代時間を忘れて友達や仲間と熱く語り合った時間があったはず。
将来のこと
恋愛のこと
部活のこと
話題は多岐に渡っただろう。
他愛もないことが入り口だったとしても、そこから一歩二歩踏み込んで「心の核」みたいなものをお互いに見せ合いながら本音を語る時間。
気がつけば辺りは暗くなり、空気が変わる。
そんなことにすら気づかずに語り合ったあの頃。
人が人をその手で育てる時
僕はこの「語る」ということがとれだけできるかが大事だと思っている。
上っ面だけじゃなく、本気で。
心の奥底、脳みその真ん中から言葉を出す。
自分の思考を限りなく純度100%に近い状態でね。
そしてその思考が浅ければ出た言葉は軽くなり
言語化力が弱ければ相手に刺さらない。
僕らは勉強を教えて終わり、ではない。
それなら参考書や問題集での自学が最も効果があり、効率も良いはずだから。
いかに語れるか
そういう意味で昨日の親単科はとても参考になったのではないか。
夫婦で語ろう。
家族で語ろう。
我が子と語ろう。
人だけが持つ「言葉」を磨き合い、心を満たそう。