なんでもそうだろう。
何か問題や課題、壁が出現したときに
それを乗り越えるには何かしらの「核」が必要である。
それは知識
それは経験
それは記憶
それはお手本
そういうものがあって初めて人は行動ができ、試行錯誤ができるんだ。
例えば算数
掛け算九九が頭の中に完全定着していることが
実際、どれだけ思考の拠り所となるか。
漢字の読み書き、意味だってそうだろう。
今日の高校生の授業
高校生の多くが4択問題ですらフワッとしか解けない仮定法だ。
どれだけの高校生が、「原理原則」と「核」と「英語脳の感覚」を一致させることができているだろうか。
生徒に聞くと、トップ高校の先生ですら、そのあたりは本当にフワッとしか授業で解説しないようだ。
僕はこういう「核がないと絶対に染み込まない」という知識をコテコテと言語化するのが自分自身、大好きなんだ。
鉄オタの子が、目を輝かせてマニアックな路線の話をするかのような満足感と充実感がある。
なぜ「助動詞+have+過去分詞」の形になるのか。
その裏に秘められたストーリーは何なのか
高校生はつらい。
どの学びの土台となる中学英文法の時点でそもそも「核」を手にいれる勉強をしてきてない子がほとんどだ。
それだと高校英文法なんて染み込むわけがないんだ。
でも、その染み込まない理由をみんな
「正確に覚えてない自分が悪い」
なんて考えてしまう。
本当はそうじゃないのにね。
ということで、高1の授業は徹底的に多くの高校生が「ふわっ」としか理解しないものを
コッテコテに弄り倒していく。