徳川家康が江戸に幕府を開いた。
という一文
知識として知っている人は多いだろう。
しかしこれ、実はいろんな知識や経験の複合体として理解しているってことを
考えたことがあるだろうか。
まず
という漢字4文字
支離滅裂
これも漢字4文字だが、僕らは別物として理解する。
おそらく 徳川が名字で、家康が名前
という判断。
これは西川太郎という知り合いがいたり、徳田孝康という知り合いがいたり。
それだけじゃない。
日本人の名前として、名字と名前の組み合わせが当たり前で、
前半が名字で、後半が名前という経験の蓄積。
もちろん自分の名前もそうだし。
名字が漢字1文字という人もいるが
徳 川家康
という組み合わせだとは思わない。
なぜなら「○川」という名字に多く触れた経験があるから。
さらに
「川」という漢字は滅多に名前には使われないのも経験として持っている。
さて次
江戸
というものが地名だとなぜ分かるか。
徳川家康が江戸に幕府を開いた
この一文
田中太郎が川越に文房具屋を開いた
こんな一文に近い。
○○が□□に・・・
という場合、この□□には場所や時を表す言葉がくることも、僕らは経験として多く見てきた。
この蓄積
これがあるから僕らは「推測」から「強い推測」になり、そのさらに前後の文脈から「確信」に変わる。
勉強に限らず、いろんなことが「分からない」子は、この経験が足りないんだ。
目の前の「初めまして」の出来事に対し、自分の中に類似点を持った知識や経験がない、もしくは足りない。
これが「分からない」の正体だ。
先日の親単科、東大生の話にも通じることだと思うのだが
どうだろう。