さて
先ほどのトイレでうんこをする話。
何が言いたいのか。
日本人の英語と何が関係あるのか。
これね
大いに関係がある!
と言っておこう。
まず便意をもよおした時、あなたは何を考えたか。
「奴を体外に排泄したい」
と思ったはずだ。
これはもう、体の自然な反応
つまり本能だ。
本来、人間には「排泄の前にズボンをパンツを下ろす」という行動はプログラムされていない。
ただ人間の文化として洋服を着る、ということが追加されただけだ。
どういうことか分かる?
便意→排泄
という本能の間に
便意→脱衣→排泄
そう「脱衣」が入ってきてるんだよ。
これには必ず「思考」と「意識」と「行動」が伴う。
いわゆる「ルール」である。
現代の人間はこの排泄行動の前に「ルール化」された行動を挟むわけだ。
さあ
近づいたね。
日本人が日本語を理解する時、それはもう「母国語」という本能に近いものを使う。
その本能とこびりついた言語の中に「英語」を滑り込ませるためには
どうすればいいか
「ルール」である。
英語のルールをしっかりと意識するという行為
どうだろう。
トイレでうんこをする時と同じなのではないだろうか。
キリッ!