親が親でなくなってきた
子が子でなくなってきた
親子の垣根
異なる世界
そういうものの境界線がぼやけてきた。
アプリ
ゲーム
かつて子供は、親が知っていることをただただ知らないだけの未熟な存在であった。
だから親は子に教え、伝え、見せてきた。
そうやって子供は親の知っている世界を少しずつ見るようになり、成長していく中で親を敬っていくようになったのではないか。
今はどうだ。
子供は、親の知らない世界にいる。
ゲームの世界
アプリの世界
そういうものを通して親の知らない世界をすでに知っている子供達
子供は親の何を敬えばいいのか。
境界線が薄くぼやけるのではない。
いる世界が違う
これなのではないか。
だから言葉が通じない。
会話が成立しないのではない。
価値観がそもそも違うと思えてならない。
そりゃそうだ。
毎日数十分間、お互いに殺し合い、最後の一人になることを目指して戦う世界の中にいる我が子
親と価値観も違えば、楽しいと思う方向も違うんだ。
親子間で確実にいろんなことの価値観がずれてくる。
かつてその速度が緩やかだった時代には
老人とそれ以外
という断絶は存在しただろうが、今はその断絶がもっと細かくなっているんではなかろうか。
それを踏まえると、いろいろと方向性が見えてくるはず