向上心と競争心
どちらもあって困ることはない。
中には「いや、人を蹴落としてまだ上に行こうとしてほしくない」とか言う親もいるが、
それは言い方の問題なのかなって思う。
社会の歯車として、誰を悲しませることもなく隣の歯車と毎日静かに歩調を合わせて回っているように見えて
実はその歯車達が動かしている大きな機械が世の中では何かしらの順位づけのためのものだったりすることもあるよね?
自分は小さな歯車の一つで、ただ大きなものが見えてないだけだったりね。
結局資本主義だろうが社会主義だろうが
人が2人いれば序列はある。
優劣はあるんだ。
それが「生きている」ってことなんだと思うしね。
我が子には向上してもらいたいし、買ってもらいたい。
そう願うのが親心ってやつだろう。
この仕事をやっていると、そういう心が我が子には足りないんです、というお悩みを聞くことがある。
なぜ向上したいと思わないのか
なぜ勝ちたいと思わないのか
僕はこの原因について、「ただ知らないだけ」と思うんだ。
向上した先に何があるのか
勝った先に何があるのか
逆もそうだ
向上しない者がどうなるのか
勝てなかった者がどうなるのか
その情報に関して、「親のフィルター」の目が粗かったり、細かすぎたりすると子供はその情報自体に興味を持たないんだ。
その匙加減
これは本当に大切なんだよね。
たまに、「聖人君子」みたいな親がいるよね。
「そんな汚い言葉使っちゃいけません」
とか言ったり。
でもさ、学校なんかでそんな親の願いはぶち壊されてるからね?
この親子のズレ
おっと、話次第もズレちゃんわ笑
とんな情報をどのタイミングで子供に伝えるか
僕はこの点においてなかなかに熟練の域に達してるんじゃない?とか思う。
おそらく99.9999%の人たちよりもいろんな世界を見て、経験してきたし。
何が必要で
何が不要か
彼らにどんな言葉をいつかけて行くべきか
それが松江塾の雑談だと思ってる。