昨日の小6国語は開成中の入試問題。
美味しくいただいた。
だが生徒達はもう、それが開成中の入試問題だなんてことを何も意識はいていなかっただろう。
言葉を通じて、その紡がれた世界を覗き、登場人物たちの心の機微に触れる
そういうことを僕の言葉の助けを借りて読み進めていく。
「読んでいる」という感覚すらないかもしれないね
そういうことが自然にできるようになると
国語は「国語という科目」ではなくなっていくんだ。
直接的に聞いたわけではないが
小学生松江っ子達は、親がそろそろはっきりと感じるほどに
内面的な成長、成熟が見て取れるのではないだろうか。
言葉を増やすことは、思考の世界を広げることだから。
そして最も貪欲に新しいことを吸収していく年齢だけに
その広がりの速度は速い。
国語の授業は、点数を取ることや問題に正解することを目的にしてはいけない。
解法
なんていうものはそもそもどうでもよいのだ。
ただ、目の前の文字、言葉、文
そこに紡がれたものを
正確に
深く読み、感じること
それでよいのだ。
それができれば、問題なんて
何をどうしたって正解が出せるんたから。
国語指導の現場にいると
ほんの数分で気づくよ。
生徒達はね
解けないんじゃなくて、
読めないんだ。
だから、解く方法を教えるんじゃなくて
読む方法を教えてやればいい。
一緒に読んでやればいいんだ。