テスト日程が早い中学では、テスト返却が始まる時期だろうか。
子供のテスト結果を見て
心拍数が上がり
おそらく血圧も上がり
じわりと発汗し
さらに手まで震えてくる
そんな経験、親から誰だってしたことがあるはずだ。
そして目の前で縮こまっている子供に向けて
この一言を言ってしまう。
「なんでもっと頑張らなかったの?」
親としては、「もっと頑張るべきだったよなー!」という叫び声の代わりという感覚だ。
しかしこの一言は、子供を長い長い「逃げ」の世界へと追い込んでしまうのだ。
どういうことか。
親に限らず、人が人を言葉で「詰める」とき、
この「なんでだ?」「どうしてこうなるんだ?」と、理由を答えさせることはよくある。
その理由の中に「相手の落ち度」を見いだし、それを改善させるべく次の言葉を出したいからだ。
これ、大人の世界の「仕事」においてはおそらく正しいのだと思う。
「どうしてこういうミスが起きた?」
「伝票をダブルチェックしていなかったからです。」
「だったらそうするように担当者集めて仕組み作れよ!」
こんな感じのやりとりが改善に繋がるからだ。
しかし、これを子供のテスト結果に適用すると何が起きるだろうか。
子供が本気で勉強を頑張らなかった理由
そんなものは単純だ。
やりたくなかったからである。
面倒臭かったからである。
ゲームのほうがしたかったからである。
頑張る理由がなかったからである。
それなのに、「どうして?」と聞かれても…
本当のことなど、言えるはずもない。
だから、追い込まれ
怒られたくない
自分に非がない
そう思われたくて、この言葉を絞り出してしまうんだ。
「やり方がわからなかったから」
これだ。
自分は本気でやりたかったのに、やるつもりだったのに
やり方が分からなかっただけなんだ、と。
やり方さえ分かっていればできたのに。
そうやって、「わからなかった自分は悪くない」という架空の立ち位置を親に見せる。
繰り返すが、
本当は
ただやりたくなかっただけだ
ただ面倒臭かっただけだ
ただ隠れてゲームをしたかっただけだ
親はこれを聞いて、溜飲を若干下げる。
そこに、子供が自ら出してきた「理由」があるからだ。
だからそこで「じゃあ…」と改善策を提示してしまう。
「やり方を先生に聞いたら?」
と。
一応現場で30年ほど指導してきたプロとして言わせてもらう。
少なくとも中学生で勉強のやり方が分からない子なんて存在しない。そもそもその質問自体、本人の中に何もない。そんな理由ははなからないのである。
そして次の言葉も断言する。
仮にそういう子に「やり方」のようなものを教えたとしても
その子はやらない。
まー、気持ち良いくらいやらない。
繰り返すが、その子の中に「勉強のやり方が知りたい」という欲はそもそもないのだから。
あのね
今話してるのは「中学の定期テスト」の話だからね?
そこは勘違いしないでね?
長くなったが、ご理解いただけただろうか。
ぜひ
意識して気をつけてもらいたい。