ふと考えた
子供のやる気
やる気に満ちている子
やる気のない子
大人でも子供でも、何かこれと言った発動条件があるんじゃなかろうか、と。
となると僕はやる気に満ち溢れている塾生を観察するわけだが…
なんかさ、子供でも大人でも、人って「器」に形容されるよね。
「やる気が満たされる」
「幸せに満ちている」
みたいな感じで、その人の中に何かしらの要素が入り、溜まり、満たされていくイメージ。
でさ、「やる気」に関してはさ
「お前のやる気がちっとも見えねえよ!」
って言語化されるよね?
つまりさ
その子の器に赤いやる気の塊がストンと入っていく感じ。
でもこの絵の状態だと、やる気はその子の中の下の方に沈んで見えなくなる。
「お前のやる気が見えない!」
ってわけ。
だからさ
こうする
するとやる気がストンと入ると…
まだ見えない。
だから、やるべきことは、やる気の赤い四角云々じゃなくて
こうやって、やる気を乗せる土台を高く高くしてあげればいいわけよね。
てか、そもそもやる気の総量なんて、だいたいいつも同じでしょ?
やる気自体の大きさなんて、そう変わらないからね。
食欲とか制欲、物欲みたいな本能的な欲を除けばさ。
だから
この「?」の部分をたっぷり溜めてあげれば、子供はちゃんと然るべき時にやる気になるんじゃないかなーと。
例えば
家族の会話
会話の満足
自己肯定感
他者からの評価
親からの信頼
好奇心を満たすもの
趣味の充実
そして、それら全ての言語化
そういうものでその子が普段から満たされていれば、
そこにちょこんとやる気が乗り
それが人から見えるし、自分でも見える。
だから自然と頑張る。
なんかね、頑張っている子達って、この「満たされてる感」が強いんだよね。
どうだろうか。