テストもなければ入試もない
課題もない
ただ目の前にあるのは大草原だけ。
死ぬまでずっと。
そんな世界で「自学」なんて言葉はない。
おそらく概念すらないだろう。
ただ現実にはテストがあり、課題もあり、節目節目で入試なるものがある。
勉強で線が引かれ、そこを乗り越えていかねばならない。
線引き
ランク分け
序列
フィルター
いくら批判しようが、そういうものが存在している以上は
それをどうにか超えていかねばならないのである。
僕が千人以上の生徒達を見てきて思うのは、
その「超えるための勉強」において、
他者に何かをやらされる者
と
自ら何かをやる者
との差があまりにもデカすぎる、という現実である。
…
当たり前か笑
自らやる者がなぜ強いか。
それはね
「何をやるか」について、いちいち思考と判断があるから
なんだよね。
「はい、今日はこれやって」
と言って立たされる問題を解く子達は
その勉強が「タスク」でしかない。
それがシングルタスクだろうがマルチタスクだろうが
目的突破のために必要なパーツを誰かに切り取られ、与えられ、やる。
そこまでに思考も分析も予測も決断もない。
ただ、その内容に関して頭を使うだけ。
浦高や一女、川高や川女の学年トップ層を同時に複数指導する経験は
ほぼほとんどの指導者にないだろうが
そのレベルに行き着く子達は、その「与えられる」という環境は絶対に害悪なのだ。
彼らを見ているとよく分かる。
勉強という行動の前に、必ず自らの分析や予測、判断があることを。
当然、失敗もあるが、それすら彼らにとっては次に成長するための試行錯誤でしかない。
だから強い。
「これをやりなさい」
と
「自分でやりなさい」
僕ら指導者は、このどちらも簡単に言えるし、やれる。
自分の経験から、この時期にこれをやらせれば短期的に点数が伸びることもよく分かっている。
しかし
僕はそれをやらない。
「知らんがな。自分でやりなさいよ」
と言うだけ。
やらされる者が失うもの
やる者が得るもの
これを売るほど見てきたからね。
松江っ子は自らやるしかない。
それを求められ、それで結果を出すことを賞賛されるからだ。
当然、ものには「段階」というものがある。
いきなり両手放しで「全部自分で学べ」なんて言うのは論外。
自分でやれるようになるには
「自信」と「薄皮一枚の蓄積」
がどうしたって必要だ。
僕の授業でそれを得ていくことができるのは
授業動画を見てもらえれば分かるはずだ。