日本人にとって日本語の文字は「見る」ものである。
漢字の熟語は読んでいるのてはなく、見ている要素が強い。
両手
というのは。もう「絵」のように見た瞬間に「りょうて」と読む。
意味もその瞬間に把握。
この感覚で英語と対峙するから、
study
steady
studio
の見分けがつかない子達がいるんだよね。
あのね
英単語は「前から読む」んだよ。
舐めるように前からね。
それなのに、日本の子達は
こういうブランド名とかを「見て覚える」
ということを繰り返すからさ
だから読めなくなるんだよ。
小学生なんかでさ、カバンやジャージに書いてある「adidas」は読めるのに、
ホワイトボードに書いた「adidas」が読めないって子は超多いから。
やばいよね。
読んでないってことよね?
いかにもスポーツするために作られたものに書いてある「adidas」
なんか分からないけど、それを「adidas」と言ってるだけ。
「身の回りにも英単語っていっぱいあるよね!そーだなー。みんながよく見るadidasなんて、読めるかな?」
そう言ってホワイトボードに書くと、とたんに自信なさそうな顔になる子達。
a を「ア」
di を「ディ」
da を「ダ」
s を「ス」
と読めてないんだ。
大人は「そんなバカな」って思うでしょ?
でも、間違いなくそれが現実だから。
幼少期からの英語学習なんて、ほぼ意味ないよ。
「見たことがある」から読めてる子達も超多いしね。
illegal
なんて、早期英語には出てこない単語なんて
ほぼ読めないから。
納豆フォニックスを学んだ子達は、正確に読めなくてもこの単語を前に「推測」、つまり「試行錯誤」「思考」ができるのに。
見たことがあるから読める
という子達は「とりあえず覚える」という行動に走りがち。
これだと、無限暗記地獄からは抜け出せない。