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川越にある松江塾!代表真島による何でもブログ!

多分、そんなに頭良くない

 

寝返りが早いか遅いか

 

当時、それだけで我が子の「能力」「素質」に意識が行ったことはなかったか。

 

「え?もうつかまり立ちしてるの?」

 

と、よその子を見て驚いたりモヤッとしたり。

 

しかし今、それが何かの差になっていると思うだろうか。

 

あの子がレギュラーなのは、つかまり立ちが早かったからだ!

 

とか。

 

おそらく、そんなことは1ミリも考えないのでは?

 

例えばそんなにレベルの高くない大学を出た人が

 

例えば高卒で働き始めた人が、ふと何かをきっかけに起業して年商5億の会社を運営してると聞いた時

 

高学歴と言われる大学を卒業して15年、ようやく年収1000万が見えてきた人は何を思うだろう。

 

 

何が言いたいか。

 

 

「ものさし」は時の流れと共に変わる

 

ということ。

 

社会に出てしまえば、どの大学を卒業したかなんて飲みの席での話くらいにしかならない。

 

仕事の現場で何かを決める時に、どの大学を出たかを話題にしようものなら

 

「は?こいつ使えないな」

 

と、もう二度とはがれないレッテルを貼られて終了である。

 

スペックの高い人ほど

 

仕事の精度と速さが求められる場ほど

 

大学の名前はあえて出さない空気もあると聞く。

 

そりゃそうだ。

 

「○○大卒の人が言うのなら、それが正解だろう!」

 

なんて判断する人達がいる会社なんて、2年後は存在すらしてないだろうから笑

 

我が子が、勉強において頂点付近で輝けるほどの能力がないな、と判断したら

 

親としては何か悔しさを感じるのは超!理解できる。

 

僕には

 

ゲラお

なし子

 

2人の子供がいるからね。

 

常に最善だと思うことをどちらにも手を抜かずにやってきて

 

それでも「勉強」においては確実に差がついた。

 

同じ定規というものさしでは、確かにゲラおの方が秀でてると判定できた。

 

しかし今なら分かる。

 

ゲラおはその優秀さを「定規」で測ることができた。

 

でもなし子は「ビーカー」で測る必要のある子だったんだ。

 

2人をビーカーで測ってみたら、

 

おお!

 

なし子の方が数倍高い数値を出すじゃないか!

 

って。

 

大人になれば、そんなことは日常的に見ていて、当然理解も納得もできる。

 

しかし、当時つかまり立ちしているよその子を見て

 

ベビーカーの中でウニャウニャしている我が子を見た時のあの気持ち

 

あれも現実の親の気持ち

 

なんだよね。

 

 

 

親って、何なんだろうね。

 

 

 

もちろん僕も親ど真ん中

 

 

 

きっと今の気持ちも、5年後、10年後には

 

 

「なんであの時あんなことでモヤッとしてたんだろーか」

 

って、思うんだろうね。

 

 

親って、何なんだろうね。