子供の成長を見ていても分かるだろう。
たとえば指先の動き
幼少期は細かい作業などできはしない。
絵を描かせてもそうだ。
それが成長とともに細かく、上手く、滑らかになってくる。
目の動き
手の動き
指の動き
少しずつ解像度が上がってくるイメージだ。
この成長曲線がどの角度でどこまで上がっていくか。
しかも、限られた期間の中で。
これが結局は「受験でそこまで届く」ということなんだと思う。
先日の親単科でも、はっきりしただろう。
僕は小中学生の指導のプロとして、その年齢の子達を見る解像度はおそらくめちゃくちゃ高い。
その保護者を見る解像度も。
そして亜朗は一橋レベルに合格するための知識の解像度が高く、その合格を支えた国語力の解像度がめちゃくちゃ高い。
その亜朗も叶わない我が天使な奥様の国語力たるや…
ディベートで天使に勝てる人間はおそらくものすごく少ないはず。
ということで、子育ての段階が今どこかに関係なく
我が子がどれくらいの解像度でものを見てるか
我が子がどれくらいの解像度で思考してるか
それに着目すると、子育てにおいて親がやるべきことが見えてくるのかもしれないよ。