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川越にある松江塾!代表真島による何でもブログ!

【板書・引き金・華奢】その言葉を知らない子が一人でもいたら授業は成立しない

 

と僕は思う。

 

特に学校のような集団での学び場。

 

もしくは会社のように団体で動いている職場。

 

 

そういう場所において、自分だけがその言葉を知らないとしたら?

 

 

他の人は理解して、動ける。

 

次の指示を聞いたり、考えたりできる。

 

でも、たった一人だけその言葉を知らないのが自分であれば

 

自分だけがそこにいるのに、そこにいない。

 

そういうことになってしまうのだ。

 

語彙

 

 

ここ最近、モヤが晴れたようにそればかり書いているような気がする。

 

 

国語の読解

 

 

テクニックとか

 

文に線を引いて分析とか

 

 

それは、語彙に全く不安のない、内容がしっかり理解できるようになった子達のための指導だ。

 

しかし蓋を開けてみれば

 

(この「蓋を開けてみれば」なんていう言い回しも知らない子達は多い)

 

まず言葉を知らなすぎて「その一文」が読めない子の何と多いことか。

 

 

もう、その根本をどうにかしないと何も始められないし

 

逆にその根本に楔を打てれば

 

(はい、またこの「楔を打つ」もね)

 

 

結局読めてしまうわけで、テクニックなんてものは不要なのよね。

 

 

板書

引き金

華奢

 

 

小6で知らない子が多かったのよ。

 

まあ、「引き金」は流石に数人以外は知ってたけどね。

 

 

板書

華奢

 

なんて、知らない子ばかり。

 

これじゃ、読解の授業なんて

 

テクニックだー

 

大事なところに線引いてー

 

とか

 

意味ないのよ

 

 

そんな授業、成立しないんだってば。