と僕は思う。
特に学校のような集団での学び場。
もしくは会社のように団体で動いている職場。
そういう場所において、自分だけがその言葉を知らないとしたら?
他の人は理解して、動ける。
次の指示を聞いたり、考えたりできる。
でも、たった一人だけその言葉を知らないのが自分であれば
自分だけがそこにいるのに、そこにいない。
そういうことになってしまうのだ。
語彙
ここ最近、モヤが晴れたようにそればかり書いているような気がする。
国語の読解
テクニックとか
文に線を引いて分析とか
それは、語彙に全く不安のない、内容がしっかり理解できるようになった子達のための指導だ。
しかし蓋を開けてみれば
(この「蓋を開けてみれば」なんていう言い回しも知らない子達は多い)
まず言葉を知らなすぎて「その一文」が読めない子の何と多いことか。
もう、その根本をどうにかしないと何も始められないし
逆にその根本に楔を打てれば
(はい、またこの「楔を打つ」もね)
結局読めてしまうわけで、テクニックなんてものは不要なのよね。
板書
引き金
華奢
小6で知らない子が多かったのよ。
まあ、「引き金」は流石に数人以外は知ってたけどね。
板書
華奢
なんて、知らない子ばかり。
これじゃ、読解の授業なんて
テクニックだー
大事なところに線引いてー
とか
意味ないのよ
そんな授業、成立しないんだってば。