steady
study
station
student
studio
stadium
全部一緒に見えるらしい。
納豆フォニックスをしつこくしつこくやる前は、確かに松江塾にもそういう子がいたと思う。
結局この子達は「見て」るんだよね。
日本人だから、漢字と同じ感覚で形を「目視」して、自分の記憶と照らし合わせる。
鷲 と 鷺
荻 と 萩
鳥 と 烏
これは、「読み方」が存在するわけではない。
日本語の漢字は「表意文字」だ。
文字に意味を持たせ、その意味を表す言葉を「音」にして口から出す。
例えば「烏」という漢字
どこを読めば「からす」なのかは全くない。
あの黒い鳥を「からす」と言い、それを表す漢字に「烏」という文字を当てはめただけ。
だから生まれて初めてこの文字を見た子は
絶対に読めない。
日本人は幼少期から漢字学習を始める。
膨大な量をコツコツと。
新しい語彙は必ず漢字とセットになって自分の脳に入ってくる。
語彙学習=漢字学習であり、
そこには「形で読みを覚える」という感覚が刷り込まれる。
そしてある程度漢字学習の「型」ができたところで英語と出会う。
言うまでもなく「新しい語彙」の局地である。
この流れで英語と出会い、
読み方、つまりフォニックスもそこそこに
「何度も読んで覚えよう!!」
という指導がなされたら、子供たちは「まあ、そうだよな。覚えなきゃいけないよな、やっぱり」
そう思って漢字と同じように「形」と「読み」を覚えていく。
あのね
英語って「表音文字」なのよ?
文字そのものが「音」、つまり読み方を表してるのよ?
そのあたりの指導、生徒たちに聞いてもやっぱり学校や他の塾では詳しくやらないみたいなんだよね。
不思議なことに…