もう題名に書いたことが全てだ
何だろう
生徒達の表情から、オブラートが一枚、二枚
明らかに何かが取れた気がするんだ。
人が人に何かを伝えることで授業は成り立つ。
その時に、そこにいるのは話し手と聞き手のみ。
その間に、声に乗った言葉として空間を情報が動いて行く。
情報は耳から音として入るが、話し手の顔や目、身振り手振りは視覚情報として目からも伝わる。
親単科を始めてからというもの、その一連の流れのクリアー感が増したんだ。
一番分かりやすく言うとするとそれは
素直さが顔に出てる
これかなぁ。
うん、これだな。
これは推測だがおそらく「うちの子、人としてコミュ力どうなのかしら」という意識をもって各家庭で働きかけや会話がなされてるんだと思う。
イライラというものが根底に流れていない会話で、コミュ力というものは「目で聞く」ことで格段に上がるということ
それがきっと家庭内で会話のネタとして取り上げられたんじゃないか。
多分、そういうことを家庭で意識的に話したとて、家庭内でその変化に気づくことはあまりないだろう
しかし
それが教室で、しかも集団となるとその変化はめちゃくちゃ大きなものになるんだ。
大体想像つくよね?
合唱練習で、昨日の声よりも一人が5%だけ声を大きく出したら、
指揮者には、ものすごく大きな変化に感じるはず。
まさにそれだ。
生徒を変えるにはまず親を変えないといけない。
教育現場にいる先生や講師なら絶対に常に感じていることを
親単科が可能にしている。
これは
間違いない。