昨日、ゲラおについて我が天使な奥様と話していた。
少し運転の練習しないと乗れなくなるよね、と言う話だ。
だから今日はゲラおの運転で近所をウロウロしようと目論んでいるのだが。
さて
その話をしながら僕は考えていた。
オートマ車限定免許のゲラお
今は市販車のほぼ全てがオートマ車だから、全く問題はない。
僕だって今から免許をとるならオートマ車限定の免許にするだろうし。
ただ、これを勉強とか、生きて行く力、と考えた時に少し様子が変わってくるんだと思ったさ。
例えば仮に「生きる免許」のようなものがあったとして
職業選択とか、生きて行く道
なんていうものが免許制度と組み合わさる、なんて世界を考えて欲しいんだ。
実際にはありえないけれどね。
さて
この現実世界
車のようにほぼ全部がオートマ車限定免許になるような感じになるだろうか。
これがね、
ならないんだよね。
スポーツの世界や芸術の世界はもちろんだろうけど
仕事の世界もそうよね?
オートマ車限定免許だけ持って生きて行く者は、おそらく下層や末端に多く
マニュアル車も乗れるぜ!という者は上層や中心の方にいる
これ、多分納得だよね?
それしかできない者
と
それもできる者
僕は松江っ子達に後者になってもらいたいんだ。
言われた勉強はできる子
と
言われなくても勉強できる子
もちろん、全員がそうなれないよ?
でも、そういう子達が周りに自然にいて、そういう子達が結果を出しているっていう環境に身を置かせたいんだよ。
そうすれば何かの時に
「そういえば、あのレベルの人たちはマニュアル免許持ってたよな」
って、人生の思考の選択肢が経験として残るでしょ?
それだけで人生、だいぶ変わると思うんだ。