仕事やスポーツ、勉強には
反省
アップデート
これらが当たり前のようにセットになっている。
それは
成功
勝ち
ミス
失敗
負け
優劣
そういうものが比較的見えやすいから。
わりと早い段階で見えるし。
しかし子育てはどうか。
日々の日常
とにかくいろんなことがある。
大きいことも小さいことも。
しかしそれは何年、何十年と繰り返している日常だから
多少の凸凹には目がいかないんだ。
っていうか
反省している暇もない
ある意味子育ての対象、つまり子供は自分の分身みたいなものであり
最初は100%を意のままに操れていたわけだから。
それが少しずつ少しずつ
ほんの少しだけ99.999999%
みたいな感じで一日ちょっとずつコントロールできなくなってくる。
でも、わずかなその変化を仕事や試合の勝ち負けのように実感することはできない。
あまりにも小さな変化だから。
しかし、その変化は確実に起きている。
そうだよね?
だからこそ
こうやって言語化されたものを読み、気づきたいよね。
今日の変化
些細な変化
そういうものを言語化だ。
そして
言語化するには「観察」しないといけない。
そして観察をしていると思っているよりもたくさんのことが見えてくるんだ。
子供の目の先に何があるのか、までも。
そう
手に取るように分かる
ってこと。
親力偏差値というものがあるとすれば
その違いを生むのは
観察
気づき
からの
行動
だと思う。
そういうことに気づいた方がこちら