君は確かに長時間机に向かい
そして集中して取り組んでいる。
今度こそ!
その気持ちも伝わってくる。
手元を見ると
君は必死で問題を見て、その答えをノートに書いている。
もしくは赤シートを教科書の上に載せ、
その見えない黒い四角の下に書かれた文字を思い出し、ノートに書く。
しばらくすると解答を見て、赤シートを取り
赤ペンで丸付けをする。
乱れぬ姿勢
手の動き
どれも素晴らしく
しっかりとできている。
それなのに、なぜ上がらないのか。
君はしっかり考えたことがあるだろうか。
なぜ本番で
君は正答を書けないのか
それは
君が必死で取り組んでいたのは
単なる分類作業
その文言を解答欄に書く作業
このどちらかだからだ。
問題を解く
できる問題とできない問題があるはずだ。
できていれば⭕️
できていなければ❌
君はそれをせっせと繰り返していたんだ。
❌だった問題、
「なんで違う?」
「どういうことだ?こりゃ…」
その思いで、もう一度問題と向き合っただろうか。
自分でその問題の問うてることが何なのか
それを腑に落ちるまで「考えた」ことがあるだろうか。
その時に
「わかんねー」
という気持ちで逃げなかっただろうか。
君はワークを反復した。
何度も何度も。
そのうち、その解答欄に何の語句が入るのかを覚えるまで反復した。
そのページの真ん中あたり
そうだ
その記号問題の下の回答欄には
確かに
が正答として書かれるべきだ。
では、君に聞こう。
六波羅探題って何?
何時代で、どういう経緯で作られた?
君はしっかりと答えられるだろうか。
本番の問題は、ワークとは違う。
そのページ、
その場所
その問われ方
とは違うんだ。
確かに君の頭の中には
という文言は入っているだろう。
答案が返却され、❌だった問題の答えが「六波羅探題」だと知った時、
君は思うはずだ。
「しまった!!分かってたのに!」
と。
違うんだよ
君は、「分かってなかった」んだよ
六波羅探題が何なのか、ということを。
という文言を知っているその辺のおじさんと同じ。
それが何なのかは知らない。
でも
「えんとつ町のプペル」というワードは頭の中にある。
聞いたことがあるし
その辺でも見かけるから。
どうだ?
君は確かにやっている。
しっかり反復している。
君が上がらない理由
それは
「実は分かってない」
それだけなんだ。