2 + 3 = 5
これ、分かる?
もちろん「分かる」よね
でも、生まれたばかりの赤ちゃんに
いや、たとえば2歳の子にこれを見せても何も分からないよね。
この式が「分かる」って、一体どういうことか言語化してみるね。
まず「2」とは
○○
こうやって何かが「ふたつ」あることを表す数字で「に」と読む。
同じく
「3」は○○○で「さん」
「5」は○○○○○で「ご」
そして「+」は、その前の数字と後ろの数字が表しているものの数を「合わせる」「一緒にする」という意味の記号で「たす」「プラス」と読む。
さらに「=」はその記号の左側の数字と並びと右の数字の並びが表しているものが「同じ」という意味で「は」「イコール」と読む。
これらを全て理解した上で
2 + 3 = 5
は
○○と○○○を合わせる「同じ」 ○○○○○
ということを表したものだってことになる。
これを頭の中を通過させて、初めて「分かる」になる。
算数ならこれが明確に言語化できるし、学校でもそう教える。
それなのに言語はそうじゃないことが多い。
特に僕たち日本人はね。
どういうことか
「七夕」
これを「たなばた」と読むでしょ?
理由は?
知らないよね?
てかあるの?
笑
そうやって僕たち日本人は「そういうものだ」と教えられることがとても多いんだ。
だからその感覚で英語も「同じ言語だから」という理由で学ぶ。
「I am Ken.」
は
「私は健です。」
という意味になる、と。
何となくそれぞれの単語の意味を日本語に直すこともできるけど
「なんでその語順?」
という理由理屈には触れず
「七夕理論」で覚える笑
そこには必ず「モヤッ」があるはずなんだ。
ねえ
「時計」はどうして「とけい」って読むの?
時に「と」という読みはないのに。
「ときけい」じゃないの?
なんで「とけい」なの?「き」はどこに行った?
少し考えれば「モヤッ」にたどり着くのにね。
僕らはそれを「そういうもんだ」と思い込みやすいんだ。
日本語は悪魔の言語だからね。
でも、英語はそうじゃないんだよ。
明確な理由理屈と仕組みがある。
そこに焦点を当てまくったのが納豆英文法
配布期間はあと2週間弱。
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