まず言葉は物や様子、行動を表すものとして「音」で入ってくる。
そしてそれが自分の中に意味を持つものとして定着した頃に、文字と一致する。
まずはひらがなで。
そしてそれに漢字が当てられていることを知る。
はしる
が
走る
になる。
ここで一気に聴覚優位だった世界が視覚優位な世界にシフトする。
そしてここからが日本語地獄の始まりだ。
走
という漢字が持つ意味を脳内に馴染ませる頃に「そう」という読み方を知り
徒競走
走力
なんていう言葉を知る。
なるほどね、となる。
こうやって「走」という漢字との付き合いが始まるわけだが
奔走
なんて熟語を見た時
「ほえ?」
となる。
奔…君は誰?となる。
この漢字はまた別のところで「自由奔放」なんて言葉で学んでこないといけない。
奔
これは人が勢いよく、我を忘れて走る、という意味の感じだ。
人が手を広げて走る様子が伝わるでしょ?
そんな感じで走るから
奔走
なのさ。
ほらほら
意味と漢字が繋がると気持ち良い良い。
日本語独特の漢字なるもの。
音から入り、意味を知り、馴染み、そこでようやく「漢字だとこう書くよ」となる文字の領域の深さと遠さ。
それを知ると、意味も分からない漢字をひたすら書くのって遠回りよね?