僕の売り・強みは授業だけである。
それ以外は特段強みはないし、趣味もない。
人間性も崩壊しているのも自覚ありあり。
家族には「サイコパスすぎる」と言われてもう何年が経っただろうか。
まあ良い。
全て自覚ありだから。
さて
そんな僕が唯一の強みとして行う授業において
賢くなっていく子とそうでない子は
授業をしながら資格情報として分かる、と何度も書いてきた。
目を見て
とか
頷く
とか
そういうこと。
今日言語化しておきたいのはそれじゃないんだ。
生徒たちの様子を見ていて、勉強できる子が何を欲しているか。
それを書いておきたい。
雨が降っている朝
我が子に話しかける。
「雨だね」
「えー、嫌だな」
から始まる会話。
そこで一言我が子に言う。
「この水って、もともとどこにあった水だと思う?」
そんな質問に
「空?」
と答える子は多いだろう。
そこで
「全部とは言えないけど、この雨のほとんどが海の水なんだよ」
と言ってあげる。
きっと驚くだろう。
「え?じゃあ雨ってしょっぱいの?」
とか
「海から飛んでくるの?」
とか聞いてくるはず。
そしたら「蒸発」なんてことを暖かいお茶を目の前において説明してあげたらいいさ。
そうやって子供は「分かる」を手に入れていく。
人は仕組みや理由を欲している。
無思考で「そういうものだ」と思い込んで何も考えないのは動物と同じ。
いかに「分かる」を頭の中に入れていってあげるか
その時の気持ちよさ
さらにそこから出てくる疑問、探究心
勉強が得意になる子とならない子は
「勉強」というものに触れる前に、いかに親がその言葉で「分かる!」を練習させてあげたかによって決まると思うんだ。
学校の授業も、そうやって「分かる」の練習をする場ではあるが、そもそもそこにたどり着いた時点で「分かるの瞬間が欲しい」となっているか、「分かるということが経験として少ないから欲しくもない」となっているか。その違いがとにかく多いと感じる。そしてそれは小1の段階ではかなり出来上がっていると思う。
まず、我が子育てや日頃の会話を思い出し、振り返り
今すぐに改善してもらいたいと
強く願う。