僕は松江塾のカリキュラムや指導方針、指導内容に対して
自分自身が納得できるかどうかをかなり重要視している。
カウンターに座るお客さんに、握りたての寿司を手渡して
口に放り込む瞬間の顔をこの目で見るような感覚だ。
微妙な目の動き
噛む口の動き
目を閉じるのか
目尻が下がるのか
何か言うか
そうい仕草や音を
次の寿司を作りながら見て確認する。
神経がすり減る思いだ。
その瞬間
に全てをかける職人の気持ちである。
自分が納得できるものを提供できた時は
これ以上ない満足感で教室を出て、次の学年の授業に向かう。
それに対し
微妙な時も未だにある。
これはもう、完成なんてものは絶対にないってことはよく分かるんだ。
だから、日々「瞬間」に気合いを入れる。
世の中の「教育」現場に同じように立つ先生たちは
果たしてみんな同じ気持ちなのだろうか。
良い先生
もちろんたくさんいるし、たくさん見てきた。
でも…
そうじゃない先生もいる。
自分が生徒だった時も
保護者だった時も
そして
同業者になった時も、だ。
それで納得してるのならいいが
誰に習うかで、子供の学力のみならず
人生も変わるんだよってことは
頭のどこかに置いておいた方がいい。
僕自身も、僕の授業がそれだけ重要だってことはよく理解してるから。