「親のやゆよ」の話である。
親の役目
親の憂う目(「うれう」を、「ゆう」と読むようにする)
親の欲目
軸が親である自分にあり、子供を対象物として見る感覚
言い方は悪いが、ペットとして見ている感覚にも近付いてしまう。
子供という容器に水をガバガバ入れる。
子供には自分のタイミングがあり、水を飲む際の呼吸にだってリズムはあるのに。
そういうのをフル無視。
それを自分で「よし」としてしまうのは
期限があるから
間に合わないから
というこれまた子供を無視した都合。
人生の期限なんて、「死」しかないんだ
だから当然、間に合う間に合わないなんてものもない。
昨日、小5と中学生達に同じ話をした。
「ここにいる」
の話だ。
ここにいる、つまり「今」が大事なんだ。
子供のこの先は、今の連続の先にある。
だから今、我が子の「ここにいる」という感覚を磨いてあげればいい。
その基準に立てば、子供がみんながいる環境でスマホに向き合っているのなら
「今、君はここにいないことになってるけど?」
という声かけが正しいものになる。
それが親の役目だ。
憂うのは自分の健康とスタイル、生活リズムと仕事に向けて。
欲目も同じ。