難関大学進学専門小中高一貫!爆裂松江塾! in 川越

全国から1500人が通う松江塾!代表真島による何でもブログ!

【大学って何なのか】きっとなくならない学歴信仰

 

難関大学進学をゴールにすると

 

そこには必ずいろいろ意見が出てくる。

 

本当にいろいろだ。

 

どこからが難関大学なのか…

 

意味があるのか…

 

それ以外の人生だって…

 

たとえ出たところで…

 

自分の知り合いは…

 

海外と比べれば…

 

社会に出ると…

 

などなど。

 

もはや、「何を持って幸せと考えるか」と同レベルで意見は多岐にわたる。

 

高校球児が甲子園を目指して頑張ることは

 

そこまで意見が分からない。

 

せめてあるのは熱中症対策とか、投球球数制限とか

 

その程度だろう。

 

それ自体の意義などについて

 

とやかくいろんな意見が出ることなどない。

 

でも、勉強や大学進学となると面白いくらいに意見が次々と出てくる。

 

なんでだろう。

 

 

自分自身の経験か?

 

社会に出てからの現実か?

 

 

僕自身はよく両親から「学歴はみかん箱ひとつ分」とよく言われてきた。

 

社会に出る時に周りよりも少しだけ高いところに立てて、先が見えるところからスタートできる。でも、一歩踏み出したらそのみかん箱からは降りてしまうので、その先に進んだ先では意味がない、と。

 

確かにそうだろうな、と思う。

 

そして社会に出てから自分が当時乗っていたみかん箱の種類と材質、高さを誇ったとて

 

「んで、今のお前は?」

 

と聞かれて終わり。

 

おそらく僕ら親はそのことを体感的に理解できているから

 

だからいろんな意見が出る。

 

でも例えば当時、そのみかん箱が無かったが故に何かコンプレックスを抱えていたり、損をしたという記憶があるのなら

 

我が子には!

 

と強く思うのかもしれない。

 

そして日本社会にはいまだに

 

「どんなみかん箱だったのか」

 

を興味深く話す人たちや文化もあるから。

 

 

だったら話は早い。

 

 

 

良いみかん箱に乗って

 

そこから踏み出しても颯爽と歩けるような子になればいい。

 

 

良いとこ取り

 

で良いではないか。

 

 

現時点では、そう考える。