例えば甲子園を目指すことが前提の野球部があったとしよう。
別にプロ野球選手になろうとかでなく、ね。
野球少年にとっての憧れ、甲子園。
そのチームに、「練習したくない」という子の居場所はあるのか、ないのか。
それを監督が「お前、やる気出せよ」と言うことに時間を割けるか。
最低でもMARCH
この言葉の重み
これがどれだけ大変な目標か。
選び抜いたレギュラーだけで甲子園を目指すのとはわけが違う。
部員全員が打席に立ち、守備につく。
全員がピッチャーとしてマウンドにも立つ。
それで甲子園だ。
しかし、高校受験が形骸化していくことがデータ上確実だから
塾としてしっかりと方向性を定めないといけないわけで。
そんな話を昨日は小6、中1、中2、中3に話した。
能力の問題ではない。
気持ちも行動の話だ。
まず持って勉強は贅沢品だということ。
君たちは「親の課金」のもとでここにいるということ。
フル課金されたゲームでも、やらなければ何の意味もないということ。
そんな話をしたんだ。
とても重い話だが、世の中の現実にかなり近い。
「え?やりたくないの?やらないの?だったらやりたいって人に譲ってね。君はここにいなくていいよ。てか何でここに来たの?」
である。