僕には苦い思い出がある。
もう20年以上前の話だ。
結果的に川越高校に進学した生徒だが、中2のある日、その子は風邪をひいて授業を欠席したのだ。
まだ当時の松江塾、通塾は週に2日だけ。
その子が休んだ日は、不定詞の1回目の授業だったんだ。
当時の僕はテキストに書いてある「要点のまとめ」を忠実に説明するスタイルだった。
そして
今ならありえない「繰り返し言って覚えよう」というスタイル。
言って馴染ませるように。
そしてその子が次の授業に来た時、もう「え?不定詞分かんないんだけど!」となってしまったんだ。
クラスの人数なんて、10人までいなかったはず。
それでも初回を休んだ子に「不定詞苦手」という気持ちを与えてしまったんだ。
苦い思い出だ。
しかし今、あれから20年以上経過し、
僕の授業スキルも上がった。
ずいぶん上がり、ついに「納豆英文法」を生み出した。
今、小5が普通に不定詞を学ぶ。
一緒に解こうと思っていた和文英訳も、日本文を書き写した瞬間に自分達で英訳しようとする。
その気持ちが持てるだけで素晴らしいではないか。
僕の苦い記憶の上書きは
いつかできるのだろうか。