自分のことなので完璧な客観視はできないが
おそらく僕は多くの知り合いや保護者の方から見て
発想力
行動力
工夫力
継続力
言語化力
この辺りにおいて何やら得体の知れない「秀でたもの」を感じるのではないか。
おお、書いてて恥ずかしいぜ。
でも実際に同業の塾長たちからは「真似できない」「真似したら爆死する」と言われることが多いので、ある程度事実に近いと思う。
いや
そう定義することにする。
では、僕がそうなった「原体験」は何か。
ちなみに、その五要素は自分を振り返ると身につき、発揮された時期が違う。
かなり幼少期から
発想力と工夫力
はあったと自覚している。記憶もある(今日のこの記事のメインはそこになる。)。
そして小学校中学年の頃には
言語化力
も結構秀でていたと自覚がある。
そして高校生か大学生の頃に
行動力
がググッと伸びて、そして最後に
継続力
が身についた。
こんな歴史を辿り、今に至るわけだ。
さて
ではその一番最初に身についたである「発想力」と「工夫力」はどのような原体験によって身についたのか。
これはもう、この一言に尽きると思うのだが・・・
「欲しいものを与えられなかった」
これだ。
一番古い記憶として残っている「欲しいもの」は
だ。
ファミコンが世にでるちょっと前のタイミングだったかな。
ドンキーコングとか
今思えばめちゃくちゃシンプルで簡素なゲームだが、当時はメチャクチャ魅力的なゲーム。
周りの子供達は飛びついた。
当然、みんな何かしらのゲームウォッチを持っていたよね。
僕はそれを買ってもらえなかった。
別に貧しい家庭ではなかった。
今考えればむしろ逆だったと思う。
でも、買ってもらえなかった。
でも、僕はどうしても欲しかった。
あの小さな手に収まる平たい物体
どうしても欲しかった。
欲しくて欲しくて
僕は何をしたか。
自分で作った
のである。
笑
段ボールをちょうどいいサイズに切り、3枚ほど重ねて糊で貼り付けた。
しかもなぜか覚えているのだが、
糊の代わりに、お米で貼り付けた。
そしてそこにマジックで画面と、ボタンを書いた。
友達のゲームウォッチは何回も見ていたし、実際に貸してもらってやったりもしていたから
そのままなるべく忠実に再現。
それがめちゃくちゃ楽しかったんだ。
おそらく、自分で実際に本物のゲームをやるよりも。
創作
再現
細部
そういう創意工夫をしながら没頭する時間
そして得た満足感。
ゲームウォッチも日々進化して、パカッと開いて上と下に画面があるやつとか。
もうその頃にはゲームをやることよりも、いかにしてそれを再現するかに意識が向いてたと思うんだ。
というか、そう覚えているんだ。
今も何か塾の仕組みを考えるときに、「どう形にするか」をイメージする時間が一番楽しい。
そして
とりあえず作ってみたい
と思考が動くのも、この頃から当たり前にやってきたことなんだと思う。
もし僕に芸術的なセンスやスキルがあれば、きっと
アートやものづくりの道に進んでいたのかも知れないが、
何せそのスキルが圧倒的に足りてないからその道には進まなかったのよねん。