国語ができない
という相談は多い。
そして
同業の人たちを話すと「国語は伸びにくい」という声が多い。
その通りだと思う。
国語
言ってみれば「日本語」である。
コミュニケーション言語として、おそらくほぼ困らない程度のレベルには達しているはず。
だから
「国語ができるあの子とうちの子は大差ない」
と思うのだろう。
でもね
そこはやはり「差」はあるんだ。
では、その「差」の根幹は何か。
国語力の根幹は何があるのか。
少々耳の痛い話だが、書かないわけにはいかないだろう。
子供の国語力は家庭で親が育てる
のである。
そうすべき、ではなく
そうしなければならない、ものなのである。
何かを子供と話す。
それこそ、先日の親単科のテーマ「雑談」だ。
その時に、我が子がどの程度理解しているか
その話題について思考しているか。
それをしっかりと見極めないといけない。
細かい助詞の使い間違いなんかも修正しながら。
そうやって「正しい言葉を使い、正しく理解する」ということを親がしっかりとコミュニケーションの中で見ていかないといけないんだ。
だから、国語力のある親がいる家庭の子は国語ができる可能性が高く、
その逆も然り、である。
我が子の国語力は、親の国語力だ。
そして、親の雑談力と観察力と修正力だ。
こう書くと、「そんな・・・大変じゃん・・・・」と思うかもしれない。
でも逆を言えば
それでいかようにも変わるんだと思えば
それはそても楽しみなことではないか。