親子
家庭
そういう話になると必ず「愛」という言葉もセットになる。
そういう場で語られる「愛」とは何か
おそらくもう定型文のようになり、大して心に響かないのでは?とも思う。
愛は、親が子に向けて存分に注ぐものである。
「大切だ」
と自覚する時の気持ちに近いだろうか。
「この子のためなら何だってできる」
そう思い心が熱くなる感覚にも近い。
しかし
それは「親自身が与えていると感じる愛」である。
愛とは
与える側に所有権があるものではなく
与えられている側に判断権も所有権もある。
僕はそう考える。
つまり
ことも自身が「愛されてるな」と感じで初めて「親の愛」というものは存在感を得るのだ。
あなたのその「愛」は「自分勝手」「独りよがり」になってはいないか。
自己満足
エゴ
そういうものに侵食された愛は
むしろいろんなところに歪みを生む。
あなたの人生を幸せなものにしたいから
なんていう言葉の向こうに、ちゃんとした愛があるだろうか
その愛は
子供に所有権があるだろうか
親の欲目に包まれた愛など
もう目も当てられないほど悲惨である。