学生諸君
君たちが情熱を燃やしているものは何か
部活か
ゲームか
何かしらあるだろう
しかし
それは僕らからすれば
実につまらない
ものである。
分かりやすいのは高校の文化祭だろうか
世の中にある何かしらの完成度の高い何かの模倣
要は、「ごっこ遊び」に近い。
実に稚拙、である。
こんなことを書くと反感を買いそうではあるが、
それは現実だ。
だがしかし
それでも君たちはそれを「楽しい」と思う。
なぜか分かるか?
志を共にし、同じ時間と体験を共有する仲間がいるから、である。
人は、人がいないと人の大切さを実感しない。
ただ、目の前に何かの事象があり、それを事象として認識し評価するだけだ
それだけでも興味を引いたり面白いと感じる時はあるだろうが
「飽き」からは逃げられない。
そうだろう?
自分以外の「人」が存在しているからこそ、その事象に彩りがますのだ。
さて
抽象的な話が続いて申し訳ない
学生諸君
君たちが今、限られた時間を向けることで最も人生に「果実」をもたらすものは何か。
もちろん、言うまでもなく「勉強」である。
いや
勉強を通して「賢くなること」「思考できるようになること」「言語と思考の親和性を高めること」である。
だからやはり、勉強に一番多くの時間を使うべきなのである。
だがそこは勉強
どうしたって避けたくなるものではある笑
じゃあどうする?
先に書いた「文化祭理論」だ。
あれだけ稚拙でくだらないことに、妙に夢中になる理由は何だったか。
人
である。
志を同じくする仲間の存在
場の共有
言葉の共有
視覚情報の共有
ではないか。
だから「進学校」というものの価値があるのだ。
学校の敷地に入った瞬間、「共有」が始まる。
授業
テスト
テスト前
そういう時間の「共有」が彼らを没入へと誘うんだ。
塾も同じだ。
「共有」という感覚
それがどれだけその塾にあるのか。
ここに気づいている塾経営者は
実はあまり多くない。
人の本質は、なかなか思考し、行動するところまで見抜けないから。