何かをすごいと思って自分の中に取り込むのは成長にとって必要だ。
しかし
誰が見ても「ああ、パクってるな」と思えてしまうのであれば
それは成長ではない。
特に「先生」と呼ばれる存在は、だ。
今、少しずつだが僕のそれと分かるものは削除したり表現を変えたりしてくれているから
その塾のホームページをここに出すことはしない。
でも
もし僕がここに出してしまったら、これはもう、とんでもないことが起きてしまうだろう。
一番辛いのは、その塾に通う子たちが松江塾を見つけてしまった時だ。
どう思うんだろう。
まず最初は松江塾というパクリ塾がある!
という気持ちになって、先生に伝えるんだろう。
でも・・・
リスペクトは大事だ。
没頭して見ていれば、自分の中にそれが知識として蓄積され
授業で使って見たくなるだろう。
それはされる側としても嬉しいものではある。
だが
「これは自分のオリジナル」
とは思わないように。
その「すごい」と思ったノウハウが出来上がるまでを想像して欲しいんだ。
何人も躓く子達に指導してきて
それでもうまくいかなくて
どうすればいいんだろうって
何回も何回もその子達の顔が明るくなるように改良して
もちろんそれは今も改良し続けているわけで。
そういう蓄積をすっ飛ばして手にすると、その先がないんだよ。
なぜこの伝え方がいいのか
ここに何の意味があるのか
そして
そのずっと後の単元にまで「布石」としてそれがそこに存在することも知らずに教えるわけでしょ。
浅い
その一言に尽きる。
どうか、授業もブログも自分の言葉と思考を源泉にして欲しい。
付け焼き刃では、生徒たちが可哀想だ。
今後、記事の修正や動画の消去を注視していこう。
それがなされないようであれば
堂々とここに公開しよう。
それは、その塾の生徒たちのためだから。