それは「必要性を感じていない」から。
今の自分の生きている時間に
今の自分が生きている空間に
勉強をしなければならないという必要性を感じていないから。
それだけなんだ。
人間、必要じゃないと思えばやらないさ。
今、あなたに「6個に割れた美しい腹筋」が必要か否か。
「そりゃあって無駄なものではないし、そりゃ見た目も良くなるだろうさ」
とは思うだろうが
必要か、必要じゃないか
と言われたら?
必要じゃないんだよ。
だから、やらない。
やれと言われても、イヤイヤやるか、なんだかんだと理由をつけて先延ばしするのではないか?
子供にとっての勉強
親は知識も経験もあるから、その必要性は分かっている。
それを散々伝え、分かったと言わせてきた。
でも
やらない。
もう頭を抱えるだろう。
仕方がないよ。
子供にはまだ、その必要性を感じていないんだから。
「でもこのままだと・・・」
と思うかもしれない。
しかし、子供自身が必要性を感じていないものは
絶対に能動的にやるようにはならない。
その時を待つしかない。
そして今は、ケツバットでもなんでも良いから無理矢理にでも「良質な教育」に触れる環境だけは用意してブチ込む。
そして今、子供は自分で必要性を感じるもの、何か能動的に没頭できるものに向かわせてあげればいい。
ゲームとかネットはダメよ?
あれは昨日書いたように「強制的な受動性」の世界に押し込められるだけだから。
スポーツで汗をかく
いいじゃん。
絵、ピアノ、書道、コレクション
いいよいいよ
そうやって能動性を高めていけば
そんなに遠くない未来、子供は勉強に必要性を感じる時がくるから。
これは
絶対にくる。