そもそも
宿題で分からないことがある、とはどういうことなのか
それを想像することなしに「質問せよ」というのはおかしな話である。
宿題とは、授業で学んだことを家で定着させるために課されるものである。
つまり
宿題が分からないという状況は
授業内容に関して何かしらの「取りこぼし」「聞き漏らし」があるということを意味する。
それに対し、質問をしろと言って教えてやることは
授業の聞き漏らしを容認することになるのではないか。
「授業でやったんだから、しっかり聞いておいてね」
なんて声をかけて、その質問に答えてしまうと
その子は次も授業を聞き漏らす。
子供に限らず、大人でもそうだろう。
僕が自分の脱いだ靴下を洗濯機に入れないのと同じで。
だから指導者としてやるべきなのは
「もう一度授業を始めから聞きなさい」
という声かけ。
そしてその生徒はもう一度授業を聞くという、面倒くさい行動をとらないといけなくなる。
「次はしっかり聞こう」
と思いながら。
簡単な話である。
「自分のけつは自分で拭かせる」
ただ、それだけだ。
みんな成長過程のどこかでそれに気づくわけで
それを塾がやっていけばいいのではないか。
松江塾は寄り添う塾ではない。
自分のけつは自分で拭かせる塾である。
てか、そうじゃなきゃ人って成長しなくない?