お分かりだろうか。
文面にある「なぜそれが正解なのか説明できていて」という部分。
見たことがある
覚えている
知っている
のではない。
なぜそれが正解なのか、の理由理屈だ。
「知っている」「覚えている」は一問に対する一つの知識。
そのすぐ向こう側には「知らなければ終わり」という恐怖と不安がつきまとう。
しかし、「理由理屈が分かっている」というのは
「考えるための環境と拠り所」が自分の中にある、ということを意味するんだ。
これがいかに大切か。
中学生になる前にこれが「核」として出来上がれば、難易度が格段に上がった英語教科書にも余裕で対応可能なのである。
しかし
僕がこの文面から感じ、そして記事にしたいと思ったのはそういうことが主ではない。
そういう「核」を作るために納豆英文法の授業をしているわけで、
ある意味、そうなって当たり前なのである。
僕がこの文面から感じるのは
親子関係や夫婦関係が完璧
ということ。
親子、おそらく父と子で本屋にいく
英検の問題集を見せる父親
それをごく自然にみる子
穴埋めと並べ替えの問題を考えて正解を言う子
その答えを聞く父親
「どうしてそうなると思った?」という問いかけ
その問いかけに対する答えを聞き、説明の正確さに驚く。おそらくそこで「へー、それ分かってるんだ!」という声かけがあったはずだ。
そして帰宅して、そのことを奥さまに伝える。
もしくは合流して帰る途中の車の中だろうか。
これは推測だが、その場に子もいたはず。
さらに後半
和文英訳についてのところからも。
子供が取り組んでいる和文英訳の正解に「よしっ」となる。
これはおそらく「どうしてそうなる?」という言語化が介在しているはず。
間違えに対しても「あー、そうかー」という納得に繋がる会話も。
アルファベットをうとぅくてぃく書くところから2ヶ月。
すでに中1内容の最後の方まで追いついている。
理由理屈でしっかりと土台を固めながらね。
最高である。