中学受験が終わり、高校受験。
決まっていく進路。
いろんな思いがあるだろう。
浮き足立つ者がいれば、悔しさに歯を食いしばる者も。
当然だよね。
何かしらの「結果」を手にするわけだから。
「好きです。付き合ってください」
と気合いを入れて告白して、それを受け入れてもらったか、断られたか
そんな感覚に近いものをイメージする人もいるだろう。
願い叶って
願い叶わず
この違いは確かにある。
しかし、時間だけは進んでいき、
否応もなく目の前に次から次へと課題や壁は現れる。
願い恋焦がれ叶って進んで下位に。
「え?平均より下じゃない…」
そう思うのは入学者の何割?
普通に考えれば、願い叶って受け入れられた者の半数は「下位」、もしくは「上位ではない」という現実を突きつけられるのだ。
上位の学校であればあるほど、これまで味わったことのない現実と向き合わなければならない子が半分いるわけだ。
クラスでトップ
学校でトップ
模試でトップ
教室でトップ
校舎でトップ
いろんなところでトップ層にいるという経験を積み重ね、
自信を持って臨み受け入れられた子達の
2人に1人が真ん中より下。
自分が半分以下
我が子が半分以下
もう暗記状態で頭に入っている、その学校の過去数年間の大学進学実績を我が子の順位や位置に当てはめる。
東大が約1割…無理だ
旧帝まで含めて2割…これも無理
早慶まで入れて4割…き、厳しい
MARCHだと…
え?MARCH?嘘でしょ?付属は余裕で受かるレベルだったわけで、
せっかく受かったのにMARCH?
え?え?え?
頭真っ白とまではいかないものの、
どうしたって「数字の現実」は襲ってくる。
「受験は通過点」
この言葉の本当の意味を知るまで残り3ヶ月だ。
遊んでいる場合ではない。
ディズニーの行列に並ぶ1時間
オリンピックに出場が決まったアスリートが
開会式まで残り3ヶ月となった時に何をしているか。
歩みを止めるわけにはいかない。
ここまでの数ヶ月間はラストスパートではなかったのだ。
次なる「さらなるダッシュ」をするために必要な心肺機能と筋肉を鍛えるための数ヶ月間だったことを忘れてはいけない。
しかも、その「さらなるダッシュ」を息を止めて脇目も振らずに頑張るのではなく
日々、毎日淡々と通常呼吸の中でやらなければならない。
必死になっては続かない。
淡々と。
コツコツと。
毎日、毎日、毎日。
それができるよね?
できるからこそ受かるだけの学力が身についたんですよね?
と、確かめられるのが「受験」である。
当然、自らやる習慣もなく、尻を引っ叩かれて通過した者たちは
自然とゆるゆると下に行く。
あと3ヶ月。
中受組は英語を、
高受組は数ⅠAと英単語を。
何の力を得るための受験勉強だったか。
それを忘れずに。